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East Swallow
性別:
男性
職業:
ネットショップ経営
趣味:
旅行や自転車、ツーリング等など
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アジアン雑貨&シルバーアクセサリーのネットショップ『イーストスワロー』を経営しています。
シルバー系のアクセサリー等をはじめとして、バッグや小物、さまざまな物を扱っておりますので是非お立ち寄り下さい。
http://www.east-swallow.com/
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先日30日、天皇・皇后両陛下がバルト3国等をはじめつとする北・東欧のご訪問より帰国されました。
各国での歓待ぶりもよく、両陛下におかれましては思い出深いものになったのではないかと思います。
さて、両陛下がご訪問された地で、個人的に一番気になる国はリトアニア。
なぜ気になる国かと言えば杉原千畝(ちうね)という人物に深いかかわりのある国だからです。
日本ではそれほど有名ではない杉原千畝ではありますが、世界的評価が高い人物です。
今日はその杉原千畝について少々・・・。
杉原千畝、海外での通称はセンポ・スギハラ(外国人には『ちうね』とは発音しずらいため)。
五ヶ国語を自在に操る凄腕の外交官。その手腕は日満ソ北満鉄道譲渡交渉公式会議において遺憾なく発揮され、その値を1/4にまで引き下げ後に世界常識を無視してまでモスクワ大使としての赴任をソ連から公式に拒否されたほどである。この件は米国でも報道されるほど前代未聞の出来事であった。
モスクワ赴任がかなわなかった杉原は赴任先をヘルシンキに変更。
そして後にソ連に程近いリトアニアに領事として転属。
そしてリトアニアの首都カウナス(現在の首都はビリニュス)において運命の時を迎える・・・。
ナチスのポーランド進行に伴い大量のユダヤ難民が発生。そしてユダヤ人が求めた救いの手が杉原の下へのビザ発給要求であった。
人道的立場からビザ発給を要請する杉原。国家的立場から拒否する外務省・・・。恩義ある外務省と人道的立場に苦悩する杉原。
そして苦悩の日々の末、外務省の意向を無視してついにユダヤ人に対してビザの発給を開始。
領事館がソ連の意向で閉鎖されつつも退去当日に電車に乗る・・・いや、電車に乗ってからさえもビザ発給を続け可能な限りのユダヤ人を救い続けた。
そして戦後・・・。杉原に下された処置はユダヤ人に対して金銭でビザを発給したといういわれのない汚名による外務省の退官処置であった・・・。
その汚名が晴れるのはなんと2000年まで待たねばならなかった。2000年になりやっと勇気ある人道的行為を行った外交官として評価し始めたのである。
こういった事もありリトアニアの対日感情はすこぶるよい物のようです。
両陛下との昼食会の席でリトアニアのアダムクス大統領は
「リトアニアと日本の間には、条約や外交を超えた特別な架け橋ができました。
その架け橋を作った日本の外交官、杉原千畝は、人道的な功績を残した事で、常にリトアニア国民の尊敬を集めています」
と述べられたそうです。
私が同じ日本人である事を誇れる人物、センポ・スギハラ。
よろしければ皆さんにも興味を抱いてほしいです。
各国での歓待ぶりもよく、両陛下におかれましては思い出深いものになったのではないかと思います。
さて、両陛下がご訪問された地で、個人的に一番気になる国はリトアニア。
なぜ気になる国かと言えば杉原千畝(ちうね)という人物に深いかかわりのある国だからです。
日本ではそれほど有名ではない杉原千畝ではありますが、世界的評価が高い人物です。
今日はその杉原千畝について少々・・・。
杉原千畝、海外での通称はセンポ・スギハラ(外国人には『ちうね』とは発音しずらいため)。
五ヶ国語を自在に操る凄腕の外交官。その手腕は日満ソ北満鉄道譲渡交渉公式会議において遺憾なく発揮され、その値を1/4にまで引き下げ後に世界常識を無視してまでモスクワ大使としての赴任をソ連から公式に拒否されたほどである。この件は米国でも報道されるほど前代未聞の出来事であった。
モスクワ赴任がかなわなかった杉原は赴任先をヘルシンキに変更。
そして後にソ連に程近いリトアニアに領事として転属。
そしてリトアニアの首都カウナス(現在の首都はビリニュス)において運命の時を迎える・・・。
ナチスのポーランド進行に伴い大量のユダヤ難民が発生。そしてユダヤ人が求めた救いの手が杉原の下へのビザ発給要求であった。
人道的立場からビザ発給を要請する杉原。国家的立場から拒否する外務省・・・。恩義ある外務省と人道的立場に苦悩する杉原。
そして苦悩の日々の末、外務省の意向を無視してついにユダヤ人に対してビザの発給を開始。
領事館がソ連の意向で閉鎖されつつも退去当日に電車に乗る・・・いや、電車に乗ってからさえもビザ発給を続け可能な限りのユダヤ人を救い続けた。
そして戦後・・・。杉原に下された処置はユダヤ人に対して金銭でビザを発給したといういわれのない汚名による外務省の退官処置であった・・・。
その汚名が晴れるのはなんと2000年まで待たねばならなかった。2000年になりやっと勇気ある人道的行為を行った外交官として評価し始めたのである。
こういった事もありリトアニアの対日感情はすこぶるよい物のようです。
両陛下との昼食会の席でリトアニアのアダムクス大統領は
「リトアニアと日本の間には、条約や外交を超えた特別な架け橋ができました。
その架け橋を作った日本の外交官、杉原千畝は、人道的な功績を残した事で、常にリトアニア国民の尊敬を集めています」
と述べられたそうです。
私が同じ日本人である事を誇れる人物、センポ・スギハラ。
よろしければ皆さんにも興味を抱いてほしいです。
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